古今亭志ん朝「化け物使い」立っているものは親でも使え!
新型コロナウイルスの影響で自由な外出が制限されてしばらくたちます。いまだ収まる様子はなく、旅行にも行けずなかなか退屈な日々を過ごしておりますが、以前旅行に行った時の写真を眺めながらのんびりと過ごしています。
久しぶりに群馬県の伊香保温泉に行った時の日本三大うどんである「水沢うどん」を食べた時の写真です。つるつるとのどごしがよく、舞茸の天ぷらとの相性も抜群でした。温泉も気持ちよかったです。
さて、見出しの「立っているものは親でも使え」はよく親父に笑いながら言われた文句でありますが、意味を調べたところ本来は緊急時ならばやってはいけないことも仕方がないという意味らしいです。私は立つのが面倒な時に使っちゃいますが。
人を使うということは落語の世界にも多く出てきますが、人使いが荒い人が登場するのはコレ!「化け物使い」の感想です。
元武家のご隠居吉田さんと千束屋からきた木助さん。主人と使用人の関係の二人から始まるこのお噺。吉田さんが木助さんにいろいろな用事を言いつけている最初の場面ですが、「品川まで行ってもらったんだからな、ついでに千住へ回ってもらおうか」というセリフがあります。観客から笑いが起きるんですが、東京住みの方はどれくらいの距離かわかるから笑いが起きたんでしょうが、地方の私にはちょっと勉強不足だったようで調べてみました。
これもまた私の学がないもんで間違ってるかもしれませんが、マップでルート検索してみると現在の港区品川駅から足立区の北千住駅まで16km程度ありました。とてもじゃないですが「ついで」で行ける距離ではありませんね。
そのあと化け物屋敷に引っ越すというもんですから、あれだけよく働いてくれた木助さんも暇をもらうことに。そして登場する一つ目小僧、大入道、のっぺらぼうの化け物たち。のっぺらぼうの女性が、針に糸を通すのを見ていた吉田さんは「どっかからみてんだな・・・」とぼそり。
また、顔のパーツがなく恥ずかしそうにしているのっぺらぼうに
「なまじ目鼻がついてるんで苦労してる女は
いくらもいるんだから!」
この言い回しにはおもわず声を出して笑ってしまいました。
最後はタヌキが全部化かしていたことを知り、人だけでなくタヌキにまで人使いが荒いといわれる始末。木助さんが言ったように人を使うときは要領よく先のことを考えておかなければなりません。
最後まで気持ちの良い落語でした。
古今亭志ん朝「品川心中」女の寿命は短い?
兼六園と後楽園とならんで日本三名園といわれる、水戸の「偕楽園」に行った時の梅の写真です。気づけば梅の見ごろも終わってしまいますが、この時期になるとあの素晴らしい景色をまた見に行ってみたいと思ってしまいます。
さて、お花見をするのに花の見ごろというものがありますが、その時期というものは気づけばあっという間に終わってしまいます。人間というものも見てくれだけを考えると輝いている時期、「見ごろ」というものは一瞬なのかもしれません。今回はそんな「見ごろ」が過ぎてしまった女郎が中心のお噺「品川心中」の感想です。
一時期は飛ぶ鳥を落とす勢いのあった品川の女郎お染。しかしこういうところでは、男は一生を添い遂げようという人を探すのではなく、ただ一夜いい思いをしたいがためにやってくるもの。少し歳がいってしまうとお客様が上がってくれなくなる。男というのは薄情なもんですね。
ただこれは女性に限ったことじゃなく男も年を取りますから、やっぱり若いほうがいいと思うのは男女共通なのでしょうか。なかには年をとってもわりかしずっときれいな女性もおりますが(深キョンとかガッキーとか)。
お染の心中相手に選ばれた金蔵とひと悶着あったあと、金蔵が親方のところへ向かってからが聞き所だと思います。金蔵が来たことによって、バクチをやってるのがばれたと思い込み、若い連中が一目散に隠れだす。そこからのドタバタはなんとも間抜けで面白かったです。
演目だけを聞いた時は、人情噺かなと思っていましたが振り返ってみると全体を通して面白おかしいお噺でした。是非皆さんも一席どうぞ。
古今亭志ん朝「三方一両損」江戸っ子はかっこいい!
2月に北海道へ旅行に行ってきました。初めての「試される大地」でしたが、思っていたほど寒くなく、美味しいものをたらふく頂いて充実した旅行となりました。
特に観光はできませんでしたが、「水曜どうでしょう」でおなじみのHTBでonちゃんグッズを買うことができました。改めてヤスケンにもう一度onちゃんの中にはいってほしいなあと思いました。(さすがにもう無理か・・・)
さて、旅行に行くときに私は交通費含めて「大体これくらい使おう!」という金額だけ財布に入れておいて出発します。しかしいざ旅行を終えて、家で財布を確認してみると、だいたい余ってしまいます。
性格上財布にいくらか入れておかないと不安になってしまい、今まで旅行にいって決めた金額全部使ってしまったことはあまりありません。一度でいいからお金の心配をせずに、パーっと心置きなく楽しみたいものです・・・。
その点落語に出てくる江戸っ子といわれる人々は、金払いが良かったといわれています。今回はそんな江戸っ子の性格がよくわかるお噺「三方一両損」の感想です。
このお噺はところどころに「江戸っ子とはこういうものだ」ということがわかるセリフが登場します。財布を拾ってちゃんと返しに行く金太郎、「金はいらねえっ!」と金太郎に突き返し大家にまで啖呵を切る吉五郎、登場人物全員が一本筋が通った江戸っ子だということがわかります。
とくに金太郎が住んでいるところの大家さんが私は好きです。金太郎に「江戸っ子なてぇものは・・・」と何たるかを説明する場面がいいですね。
金太郎が吉五郎の啖呵をまねした後に「なるほどなぁ、どこの大家もおんなじだ。」と流れるように嫌味を言ったときには思わず吹き出してしまいました。金太郎と大家さんのやり取りはいつ聞いても面白く、大家さんの人柄に惚れてしまいました。
「三方一両損」という演目名を知ってからこの落語を聞いたため、大岡越前の裁きには「へえーうまいもんだな」と感心し、妙に納得してしまいました。
皆様も江戸っ子気質を知りたいと思ったら、このお噺を聞いてみてはいかがでしょうか。
古今亭志ん朝「芝浜」ほろりとくる人情噺!
なんどか大洗は訪問していますが、いつ見ても大洗磯前神社からの景色は好きですねー。大洗は漁港も近く、市場ではあんこうやシラスが特産品だそうで。美味しい海鮮もたくさん頂いて大満足です!!
さて、旅行中魚市場にも寄ってみましたが、そこで思い出したのは言わずと知れたこのお話「芝浜」の感想を書きたいと思います。
年も明け、あっという間に2月に入ってしまいましたが、今回の落語芝浜は年末によくかけられる演目だとか。お話の最後が年の暮れだからなのでしょうか。ともかくこの演目は多くの人に聞いていただきたい一席だと思います。
芝浜は場面の切り替えが多く、演じる時間も長いため噺家にとって演じるのが一苦労なお話かと思いますが、志ん朝師匠の芝浜はまるで映画を見ているような感覚で飽きることなく自然に引き込まれてしまいます。お気に入りは熊さんが酒に酔っぱらい、傷んだ魚を食べてしまったお得意先の旦那のセリフ「刺身に舌ァつねられた。」という言い回し。こういった表現はなんかいいなあと感じてしまいます。
また、動画によっては違うかもしれませんが、特にすごいなと感じたところは、熊さんが財布を広げるシーンです。湿って固くなった財布のヒモを外す動作・・・。初めて見たとき、手にしているのは手ぬぐいじゃなくて本物の湿った財布からヒモを外すような動きに見えたのは私だけじゃないはず。
ほかにも細かな演技が本当によく洗練されていてやっぱりすごいなあと感じました。
今回は落語の演目でも大ネタと呼ばれる「芝浜」の感想でございました。
是非皆さんも古今亭志ん朝の「芝浜」を聴いてみてはいかがでしょうか。
古今亭志ん朝「佐々木政談」うまいしゃべりで大出世!
少し前に「日光東照宮」に行ってきました。別名「日暮門」ともいわれる「陽明門」、見ざる聞かざる言わざるの「三猿」、平和の象徴「眠り猫」と有名な場所を一通り周りましたが、特に印象に残ったのは薬師堂の「鳴き龍」ですね。今では鳴き龍の下で手をたたくことは禁止となってしまったそうですが、案内のお兄さんが拍子木で龍が鳴くところと鳴かないところで違いを説明してくれました。部屋全体に音が響くときには思わず感嘆の声が漏れるほど感動してしまいました。
さて、東照宮は徳川家康を祭っているということでもちろん「三つ葉葵」の家紋が至る所にあるわけですが、「丸に四ツ目」の家紋が出てくるのはこの噺「佐々木政談」の感想です。
政談ものといえば「唐茄子屋政談」、「三方一両損」、「大工調べ」あたりは聞いたことありますが、まだあまり多くの落語を聞いていない私でもお奉行様が裁く噺は登場人物の誰が話しているのかが分かりやすく、結構好きかもしれません。その中でも今回の「佐々木政談」では志ん朝のなまいきな子供役がたっぷり聞けます。
聴いていて楽しかったところは南町奉行の佐々木信濃守と白ちゃんの知恵比べ。こんなうまい返しができれば私も出世が早いかしら・・・。特にまんじゅうを二つに割って「どちらが美味しいですか?」のところは白ちゃんの親思いな感情が見えてほっこりしました。また、お奉行ごっこをしていたときの子供たちのやり取り。言葉の言い回しや役の使い分けで、本当に江戸時代には子どもたちがこういう遊びをしていたんじゃないのかと感じてしまうほどのリアルさがありました。
桶屋のなまいきなせがれがお奉行様に認められ、出世をする噺。まさに憎まれっ子世に憚るといったような一席でございました。
古今亭志ん朝「そば清」ちょっと怖い?
ここ最近毎週のように蕎麦屋に行っております。今までは蕎麦よりうどんのほうが好みだったのですが、この歳になってようやくお蕎麦のおいしさが分かったような気になり、いろんなお蕎麦を食べたいと思って近所の蕎麦屋を片っ端から食べています。
落語といえば「蕎麦をすする仕草」が有名ですが、この落語を聞いた時はたらふく蕎麦が食べたいなと思ってしまいます。今回はそんな落語「そば清」の感想です。
YouTubeにもあがっている志ん朝のそば清ですが、その枕が大変面白く興味深いです。志ん朝のお兄さんの十代目金原亭馬生師匠の七回忌の話から始まり、話題があっちこっちと脱線します。聞いているとああこれは間違いなく酒に酔っているなという感じが伝わってきて非常に珍しい動画です。
噺の内容は蕎麦賭けが流行っていた江戸時代、蕎麦屋の常連と「お蕎麦の清兵衛さん」の賭け勝負はどうなるかというものです。最終的にこのお蕎麦の清兵衛さんが信州から持ち帰った草は、消化を助ける効果があるのではなく人間を溶かしてしまう草で、蕎麦が羽織を着ていたというオチなのですが、最初に聞いた時ゾッとしたのは私だけではないはず・・・。
しかし、酒に酔っていながらも噺の内容に入ってしまうと見事にそば清を演じきる志ん朝師匠はやっぱりすごいなあと感じてしまいました。蕎麦を美味そうにたぐる清兵衛さんを見ていると今すぐに蕎麦を食べに行きたくなるお話でございました。
古今亭志ん朝「お直し」客引きと花魁の廓噺
祖母の家に行くと仏壇にお線香をあげることが慣習になっています。ろうそくにマッチで火をともし、お線香を立てて鐘を鳴らして(「おりん」って言うそうです)、手を合わせる。子供の時からやっていますが、お線香をあげるたびに自分のご先祖にいろんな報告ができるような気がして心が落ち着きます。あのお線香の香りも結構好きです。
江戸時代の遊郭ではお線香を使った本数で料金が決められているところもあったそうです。今回はそのような遊郭が舞台の「お直し」の感想です。
現代でも職場恋愛というものは存在するようで(私は無縁)、そのような形で出会い結婚までいった知り合いもいます。ただ職場恋愛で心配なのが、周りの人にばれてしまったらということです。人間関係の悪化や、妙な噂を流されてしまうなど数えきれないほどのリスクが付きまとうことでしょう。しかしそれでも恋というものは止められないものなのかもしれません。この「お直し」という噺も職場恋愛に通ずるものがあると思います。
近頃お茶を引いている花魁が、客引きの若い衆に優しくされたことでお互い気持ちが近づいていき、男女の仲になるところから始まります。最初は隠れて逢瀬を楽しんでおりましたが、そこは長年男女を見ている旦那のことです。勘のいい旦那にすぐにばれてしまいます。しかしこの旦那の裁量で二人は夫婦になり、今まで通り店で働かせてくれることに。しかし旦那はバクチに手を出し店を休みがちになってしまいます。店にもいられなくなりとうとう女郎屋の底辺「けころ」で店をやることになります。この「けころ」で店をやることを提案したのは亭主ですが、最終的には女房のほうが強気に出て亭主をけしかけるほどに。志ん朝が演じる強気になった女房は聴いていて気持ちがいいですね。店を開けてその日に一人の酔っぱらいが入ってきます。昔は人気のあった花魁ですから、女房は言葉巧みにその酔っぱらいを中に引き込み虜にさせてしまいます。しかし亭主はその様子が気に入らず、何度も「直してもらいなよっ!!」と声を荒げます。そのあとの夫婦のやり取りは非常に人間味があり、この二人は出会うべくして出会ったんだなあと感じさせます。
その後は酔っぱらいと亭主の立場が逆転してオチとなります。私は志ん朝が演じる夫婦がとても好きで、理想の関係の時もあれば反面教師にしなければならない関係もあります。この「お直し」はそのどちらの関係も含まれている面白い噺でありました。