きゅうすの初心者落語傾聴

主に古今亭志ん朝師匠の落語を聞いた感想を書きます。

アドリブで話すこと

新年度を迎え、酔っているときのただのひとり言でございます。

 

ただYouTubeかなにかで柳家喬太郎師匠や古今亭志ん朝師匠の落語を聞いているときにふと思ったことですが、、

 

高座へ上がるときに話す内容をあらかじめ決めているかそうでないかといったことです。

 

 

たまたま古今亭志ん朝師匠の「抜け雀」をYouTubeで見ていますと、

第一声が「えー、近頃は大変にこの乗り物というものが・・・」から始まるのに対し、柳家喬太郎師匠の「抜け雀」はあいさつから始まり、キョンキョンと呼ばれることへの感じ方、地方の弁当の話しなどなど

 

 

 

喬太郎師匠のは高座にあがって、その場で考えてしゃべっているんじゃないかというように感じますが、もしかしたら噺家のことだからアドリブのように見せてあらかじめ考えていたことを練習の末はなしているんじゃなかろうかということをつい考えてしまいます。

 

 

まあ聞いている人にっとってはどうでもいいんですが、もしアドリブだとしたら自分もこんな面白い話を即興でしてみたいなあといった願望が出てきてしまいます。型にはまった考え方を抜け出すヒントにしてみたいですね。

 

また、たまたま気になった落語の第一声ですが、志ん朝師匠のあらかじめ話すことが決まっていたような第一声もどことなく「ああ、この人も自分と同じ人間なんだな」と思わせてくれるように感じました。(大変におこがましい考えです・・・)

 

非常に失礼なことを羅列したところでこの辺で失礼を・・・